京都東山(南部)

◼三十三間堂(京都市 東山区)

★天台宗

建物の正式名称は蓮華王院本堂。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。

「大悲殿」は、ご本尊の千手観音を祀るお堂の意味。

◼法住寺(京都市 東山区)

★天台宗

平安時代中期に藤原為光によって創設され、その後院政期にはこの寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれた。法住寺殿が木曾義仲によって焼き討ちされ、数年を経て後白河上皇も崩御すると、法住寺は後白河上皇の御陵をまもる寺として江戸時代末期まで存続、明治期に御陵と寺が分離され現在にいたっている。

「後白河院」のご朱印。

「本尊身代わり不動尊」のご朱印。

寺内の「身代不動明王」像は、平安期の作風とされる。この不動像は寺伝では円仁(慈覚大師)が造立したといわれ、後白河上皇の信仰も篤かった。義仲の放火の際に、上皇の身代わりとなったと伝えられている。

「親鸞聖人そば喰いの御真影 南無阿弥陀仏」のご朱印。

明治の初め、東山渋谷にあった佛光寺から親鸞ゆかりとされる阿弥陀像や、親鸞の木造(そば喰いの像)が移されていることに因む。

◼六波羅蜜寺(京都市 東山区)

★真言宗智山派

踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。

「六波羅堂」のご朱印。

 

◼智積院(京都市 東山区)

★真言宗智山派

智積院は、もともと紀州根来山 大伝法院(根来寺)の塔頭であった。根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで、全山炎上した。当時、智積院の住職であった玄宥は、根来攻めの始まる前に弟子たちを引きつれて寺を出、高野山に逃れた。関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601年)、家康は東山の豊国神社の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院はようやく復興した。

金堂に祀られるご本尊「大日如来」のご朱印。

明王殿(大雲院本堂を移築)に祀られる「不動明王」のご朱印。

◼妙法院(京都市 東山区)

★天台宗

ご本尊は普賢菩薩、開基は最澄と伝えられる。皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院を指して「門跡」と称するが、妙法院は青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。

ご朱印は、ご本尊の普賢菩薩に因んだ「普賢尊」。