宇治

◼平等院(京都府 宇治市)

★単立

永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院とした。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していた。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされる。

「鳳凰堂」のご朱印。

◼三室戸寺(京都府 宇治市)

★本山修験宗別格本山

宝亀元年(770年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵より出現された千手観音菩薩を御本尊として創建されたとされる。開創以来、天皇・貴族の崇拝を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなった。

「源氏物語」の時代、宇治は貴族の山荘が営まれた勝境であった。 「源氏物語」五十四帖の最後の十帖は、主に宇治を舞台にしており、世に「宇治十帖」 として知られてる。三室戸寺鐘楼脇に「浮舟古跡」と刻まれた古碑があるが、これは二百五十年前の寛保年間「浮舟古跡社」 を石碑に改めたもので、その折古跡社のご本尊「浮舟観音」は当山に移され、今に浮舟念持仏として伝えられている。

◼萬福寺(京都府 宇治市)

★黄檗宗 大本山

黄檗山萬福寺は1661年に中国僧の隠元隆琦禅師によって開創された。禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国にある黄檗山萬福寺のご住職をされていた。当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝された。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けた。

本堂の大雄宝殿の下層の額「萬徳尊」は隠元禅師の高弟木庵の書。

斎堂(食堂)前の回廊に吊されている開梛「魚梆」は、時を報ずるための魚板。木魚の原形となったもので、現在も使用されている。