山科

◼毘沙門堂(京都市 山科区)

★天台宗

毘沙門堂の前身の出雲寺は文武天皇の勅願により、大宝3年(703年)行基が開いたという。その後、平安時代末期には出雲寺は荒廃していたが、鎌倉時代初期、平親範が平家ゆかりの3つの寺院を合併する形で再興。中世末期には再び荒廃していたが、近世に至り、天海とその弟子の公海によって現在地に移転・復興され、天台宗京都五門跡の一として栄えた。

ご本尊の毘沙門天に因んだご朱印「毘沙門天王」。

不動堂に祀られる不動明王に因んだご朱印「不動尊」。

◼隨心院(京都市 山科区)

★真言宗善通寺派

弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正暦二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立された。古くは牛皮山曼荼羅寺と称された。

曼荼羅寺御殿とも称されたことに因む「曼荼羅殿」のご朱印。

◼勧修寺(京都市 山科区)

★真言宗山階派 大本山

当寺は昌泰3年(900年)、醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改めたもので、胤子の同母兄弟である右大臣藤原定方に命じて造立させたという。胤子の父(醍醐の外祖父)藤原高藤の諡号をとって勧修寺と号した。

ご本尊「千手観音」のご朱印。

◼醍醐寺(京都市 伏見区)

★真言宗醍醐派 総本山

醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展した。

ご朱印の「五大力尊」は、「不動明王」、「大威徳明王」、「軍荼利明王」、「降三世明王」、「金剛夜叉明王」の五大明王の総称で、衆生済度(しゅじょうさいど)のご請願の勝れた仏様方を示す。

ご朱印の「神変」は、神変大菩薩、つまりは役行者のことを示す。