嵯峨嵐山

◼大覚寺(京都市 右京区)

★真言宗大覚寺派 大本山

嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院で、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院でもある。また、嵯峨天皇を流祖と仰ぐ華道嵯峨御流の総司所(家元)である。

ご本尊の「五大明王」のご朱印。

嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の直筆の般若心経を収蔵し、薬師如来像を安置される「心経殿」のご朱印。

2017年秋のイベント「観月の夕べ」でいただいた限定ご朱印。月を望む場所に祭壇を設け、お団子や、芋、豆などの野菜、お茶、お花を供え一山の僧侶が出仕して「月天」を招じ、農作物の豊作と人々の幸せを祈願することに因んだご朱印「月天」。

◼化野念仏寺(京都市 右京区)

★浄土宗

弘仁2年(811年)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、後に法然が念仏道場を開き、念仏寺となったという。境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。

ご朱印は多数の無縁仏に因んだ「無縁佛の浄土」。

◼清涼寺(京都市 右京区)

★浄土宗

嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。

ご朱印は、国宝でご本尊の釈迦如来に因んだ「釈迦如来」。

◼天龍寺(京都市 右京区)

★臨済宗天龍寺派 大本山

天龍寺の地には、後嵯峨天皇(在位1242年 – 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年 – 1274年)の離宮があり、「亀山殿」と称された。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。

ご朱印の「覚王宝殿」は、ご本尊の釈迦如来を祀る仏殿の意味。

◼祇王寺(京都市 右京区)

★真言宗大覚寺派

元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、『平家物語』には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。

ご本尊の「大日如来」のご朱印。

2017年春の限定ご朱印「祇王寺」。

2017年夏の限定ご朱印「祇王寺」。

◼二尊院(京都市 右京区)

★天台宗

平安時代初期の承和年間(834–847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝わる。以後荒廃するが、鎌倉時代初期に法然の高弟だった湛空らにより再興される。

右に発遣の釈迦如来、左に来迎の阿弥陀如来が並び祀られている。この二体のご本尊に因んだ「本尊二尊」のご朱印。

「圓光大師」は法然の諡号。法然の死後15年目の嘉禄3年(1227年)、天台宗の圧力によって隆寛、幸西、空阿が流罪にされ、僧兵に廟所を破壊される事件が発生した。そのため、信空と覚阿が中心となって蓮生、信生、法阿、道弁らと六波羅探題の武士たちが護衛して法然の遺骸を嵯峨の二尊院に移送したとされる。

◼厭離庵(京都市 右京区)

★臨済宗天龍寺派

当寺のある場所は鎌倉時代初期の公家藤原定家の山荘跡と伝えられ、江戸時代に入り定家の子孫である公家冷泉家が再興して寺としたのに始まるとされる。

ご朱印は、藤原定家が詠んだ百人一首97番「来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の 身もこがれつつ」。

◼華厳寺(京都市 西京区)

★臨済宗

通称「鈴虫寺」(すずむしでら)と呼ばれている。様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじをはき、願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」、僧侶による参拝者への茶菓のもてなしと鈴虫説法等も有名。

ご朱印の「妙音大士」。妙音は鈴虫の鳴き声、大士は仏様を表していると思われる。

◼證安院(京都市 右京区)

★天台宗

「さつき寺」として有名である。山門の正面に誓阿上人の『南無阿弥陀佛』の名号石、本堂には雲に乗った来迎阿弥陀仏三尊仏が祀られている。

寺宝の一つ、山崎弁栄聖者筆の『無上尊』の額に因んだご朱印「無上尊」。

 

2017年春の限定ご朱印「諸行無常」。

 

◼法輪寺(京都市 西京区)

★真言宗五智教団

奥州会津柳津の円蔵寺、伊勢の朝熊山の金剛證寺とともに「日本三大虚空蔵」と称される。また、十三詣りや針供養・うるし祖神の寺としても著名である。さらに、境内には、電気・電波を守護する鎮守社である電電宮が祀られている。

ご朱印は、ご本尊の「虚空蔵尊」。