高野山

◼金剛峯寺(和歌山県伊都郡高野町)

★高野山真言宗総本山

「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。

「遍照金剛」の名号は弘法大師が唐に留学し真言密教を極めた時の灌頂名で 「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人を幸せにする仏さまの砕けることなき智慧の持ち主」という意味があり、大日如来の別名でもある。

「奥之院」

奥之院は高野山の信仰の中心であり、弘法大師が御入定されている聖地。正式には一の橋から参拝する。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいる。

「弘法大師」は真言宗の開祖。

「金堂」

金堂は高野山開創当時、御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていた。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきた。 現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成。

「薬師如来」はご本尊。

「根本大塔」

壇上伽藍にある仏塔。816年(弘仁7)に高野山開創の勅許を得たのち建立に着手し、没後半世紀を経て完成した。現在の建物は1932年(昭和7)に着工し、38年に完成したもので、16間四面、高さ16丈(約50メートル)の2層の多宝塔様式の塔。

「大日如来」はご本尊。

「女人堂」

高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていた。明治5年(1872年)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限され、そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれました。現在の女人堂は唯一現存する建物。

「徳川家霊台」

寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立された。一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでおり、向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎となっている。

「霊宝館」

高野山に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化遺産を保護管理し、一般にも公開する目的で大正10年(1921年)に開設された博物館相当の施設。建物は宇治平等院を模して建造され、高野山でも数少ない大正建築として登録指定文化財に指定されている。

「紫雲殿」は、正面奥に位置する単層切妻造の建物で正殿にあたる。

◼密厳院仏堂 刈萱堂(和歌山県伊都郡高野町)

★高野山真言宗

密厳院は新義真言宗の開祖・興教大師覚鑁が住坊として建立した。覚鑁は高野山の退廃を憂い、復興のために力を尽くした。長承元年(1132)鳥羽上皇の外護により道場としての「大伝法院」と住坊の「密厳院」を建立。同3年(1134)には大伝法院の座主と金剛峯寺の座主を兼務することとなった。

「地蔵尊」はご本尊。

◼慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)

★高野山真言宗

弘仁七年(816)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とされた。

「弥勒佛」はご本尊で、国宝に指定されている。