日蓮宗(ご主題)

◼本能寺(京都市中京区)

★法華宗本門流 大本山

本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊門の間に、日隆によって創建されたものである。天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀の率いる軍勢に包囲されるという本能寺の変が起きて、その際の兵火で堂宇が焼失した。天正19年(1591年)、豊臣秀吉の命で、現在の寺域(中京区下本能寺前町)へと移転させられた。

◼久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)

★日蓮宗 総本山

弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられた。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られた。当地では足かけ9ヵ年の生活であった。

「奥之院思親閣」は身延山山頂にあるお堂。日蓮は望郷の念おさえがたく、折にふれては身延山の頂上へ登り故郷房州(千葉県)安房の両親・師道善御房を思い回向した場所で古来は東孝閣とも呼ばれ現在は親を思うお堂思親閣と呼ばれている。また日蓮聖人自らお手植えと呼ばれている四本の杉も今でも育っている場所でもある。

「祖廟」には、日蓮聖人の墓所と日蓮聖人が住んだ庵の跡がある。向かって右側の墓は久遠寺歴代廟。左側は六老僧日興上人、富木常忍師母、阿仏坊日得上人、法寂院日円上人(南部公)、お万の方、徳川光圀母久昌院、高松城主松平頼重側室寿光院、会津城主保科正之母浄光院、刈谷城主三浦安次郎母寿応院、加賀前田利家側室寿福院。

◼妙顕寺(京都市上京区)

★日蓮宗 大本山

日蓮の遺命を受け、京都布教中の日像が後醍醐天皇より寺領を賜り、妙顕寺を建立した。京都における法華宗の根本をなす寺院となった。その後、備前法華の祖と仰がれる大覚を輩出し、法華宗の発展に大きく寄与することとなった。

「四海唱導」「四条門流」と呼ばれる。妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺で「龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と呼ばれている。

◼妙行寺(名古屋市中村区)

★日蓮宗

もとは「本行寺」と号する真言宗寺院で、1294年(永仁2年)に日蓮宗に改宗されたという。加藤清正は元々妙行寺の近くで生まれ育ったとされ、1610年名古屋城築城の際に、その余材を使って妙行寺を自分の生誕地に移築・再建した。

◼本圀寺(京都市山科区)

★日蓮宗 大本山

日蓮宗の宗祖・日蓮が鎌て倉松葉ヶ谷に法華堂を構えたことから始まると伝える。1345年(貞和元年)に日静が光明天皇より寺地を賜り、六条堀川に移転した。「東の祖山」久遠寺に対し、京都に栄えた本圀寺は「西の祖山」と呼ばれている。

◼立本寺(京都市上京区)

★日蓮宗 本山

日像が創建した妙顕寺を起源とする。日蓮の弟子で京都での布教に携わった日像は元亨元年(1321年)、御溝傍今小路(京都市上京区)に妙顕寺を創建。暦応4年(1341年)、四条櫛笥(下京区四条大宮付近)に寺地を移した。妙顕寺は嘉慶元年(1387年)山門(延暦寺)により破却されるが、明徳4年(1393年)、三条坊門堀川(二条城南東付近)に再興され、寺号を妙本寺と改めた。

◼常栄寺(神奈川県鎌倉市)

★日蓮宗

鎌倉時代に源頼朝が山上に由比ガ浜を遠望するための桟敷を作ったのが興りとされる。ここを守護していた印東祐信の妻の日蓮宗の尼僧(「浅敷の尼」といわれる)が、文永8年(1271年)の龍ノ口法難の折り、処刑のため刑場(現・龍口寺)に引かれて行く日蓮に胡麻ぼたもちを捧げた、という伝承がある。

◼本昌寺(京都市上京区)

★日蓮宗

かつては平安京の大内裏のあった場所。門前の通りは出水通といい、良質な水が湧き出た事に由来するといわれる。七番町の名称は秀吉時代、千本通の東には聚落第があり、周囲に諸大名や幕下の組屋敷を配置した事に始まる。

◼教法院(京都市上京区)

★日蓮宗

教法院は、永正二年(1505)9月に創建された。本堂には「伏見宮貞致親王 第二之姫宮 常子公之大母」や、石田三成に仕えた戦国武将 「島左近」が祀られております。

◼経王寺(東京都新宿区)

★日蓮宗

慶長三年(1598)に当時は武蔵国豊島郡(むさしのくにとしまごおり)市ヶ谷田町と呼ばれていたところ(現・新宿区市谷田町)に、尊重院日静上人(そんじゅういんにちじょうしょうにん)という僧によって開創された。

◼龍口寺(神奈川県藤沢市)

★日蓮宗

この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった。この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ。その後延元2年/建武4年(1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりと伝わる。

◼北海寺(札幌市中央区)

★日蓮宗

明治初期に創成川を中心とした市街が出来た頃、題目講的組織が出来ていたらしいが詳細は不明。しかし信徒の中で「サ・」(カクサボシ)新田家の尽力により明治23年現在地に堂宇を建立、一乗山・北海寺と称し、本山に住職を屈請して日極を迎えた。