比叡山

◼延暦寺(滋賀県大津市)

★天台宗 総本山

延暦寺は標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。比叡山、または叡山と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 – 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。

根本中堂は、 最澄が建立した一乗止観院の後身。現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建されたものである。本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続く「不滅の法灯」である。この法灯は信長の焼き討ちで一時途絶えたが、山形県の立石寺に分灯されていたものを移して現在に伝わっている。

「醫王殿」は、ご本尊の薬師如来の祀られたお堂の意味。

大講堂は、もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964年に移築した。重要文化財だった旧大講堂は寛永19年(1642年)に完成した裳階つき建築だったが1956年に放火による火災で焼失している。

ご朱印はご本尊の「大日如来」。ご本尊の両脇には向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍の像が安置されている。いずれも若い頃延暦寺で修行した高僧で、これらの肖像は関係各宗派から寄進されたものである。

東塔の総合案内所の向かいに建つ大黒堂はかっては政所、食堂ともいわれていた。

ご本尊は大黒天、毘沙門天、辨財天の三つの顔を持つ三面「大黒天」が祀られている。この大黒様は別名を出世大黒天ともいわれる。

昭和55年に阿弥陀堂の横に再興された。伝教大師最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされたが、その中心の役割をするのがこの東塔になる。

ご本尊は大日如来をはじめとする「五智如来」が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されている。

万拝堂は根本中堂大坂を登ったところにある。日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安して、日夜平和と人類の平安を祈願している平成の新堂である。

ご朱印はご本尊の「千手観音」にちなんだ「大悲殿」。

阿弥陀堂は、昭和12年(1937)に建立された檀信徒の先祖回向の道場。ご本尊は丈六の阿弥陀如来である。またお堂の前には、水琴窟があり、美しい響きを聞くことができる。

ご朱印は「寂光殿」。

文殊楼は高い石段を隔て根本中堂の東側にある。延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになる。慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものだが、寛文8年(1668)に焼け、その後建てられたのが現建築。

ご朱印は、ご本尊の「文殊菩薩」。

西塔の本堂にあたるのが、転法輪堂。一般にはご本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂の名で知られている。現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、もとは三井寺の園城寺の金堂であったが、秀吉が文禄四年(1596年)に西塔に移築したもの。

ご朱印の「大雄殿」は、ご本尊の釈迦如来が祀られているお堂の意味。

横川中堂の旧堂は1942年に落雷で焼失し、現在のお堂は1971年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。

ご朱印の「大悲殿」は、ご本尊の聖観音菩薩をちなんでおり、慈覚大師作と伝えられる。

 

慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる「元三大師」堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論議されたことから四季講堂とも呼ばれている。現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地といわれている。

星峯稲荷のご朱印。ご本尊の茶枳尼天は、辰孤王菩薩。